今週のお題「雪」

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リッカタケ標本

今回の個展のDMにも使用している「リッカタケ」
雪の結晶の別名「六花」。
ロッカともリッカとも読みます。

小さくても繊細で、雪の結晶のようにいつまでも見つめていられるような。

そんな美しさを目指しました。

 

 


アート作品はなんのためにあるのか。

その答えは様々ですが、

私は現実逃避のためにあると思っています。

 

万華鏡のように、顕微鏡のように、覗き込むと我を忘れて見入ってしまう。

どんなときでも入り込めてしまう世界。

日常生活のなかにちょこんと置いておいて、時々覗き込んでは日常のことを忘れられる。

そんなpiece(一片の作品)を作っていきたいと思っています。

 

本日から個展開催です。

2/16〜3/3
東急目黒線 西小山駅すぐ

curl up cafe

http://curlupcafe.com

竹村東代子個展
「きのこの切り絵標本」
〜緻密で自由なきのこの世界〜

きのこの切り絵を標本箱に入れたものをたくさん展示します。

今決まってる在廊日は
16日12:00〜17:00
23日11:00〜ワークショップ開催。15:00ごろほかの仕事のため退出します。
3月3日最終日
11:00〜19:00
です。

土日両方こどもたち置いて出るわけにいかないのでこのような状態ですが、他に平日はちょこちょこ在廊しています。

 

 

平日の在廊日は随時、こちらのブログや

instagram (toyokotake)

twitter(toyokotake)

Fcebook

https://www.facebook.com/toyoko.takemura

でお知らせします。

 

よろしくお願い致します。

 

(個展開催概要)
竹村東代子個展「きのこの切り絵標本」
〜緻密で自由なきのこの世界〜
15年ほど前から、きのこに魅了されて切り絵をはじめました。それまで描いていた植物と違って、きのこは緻密ながらに生物的法則がなく自由に満ち、まだまだ未知の世界が残っています。この展示では既存の種の模写から、空想上の新種まで、切り絵標本として表現しました。私にとってきのこの魅力とは“万華鏡をのぞき込んだ時のような非日常感”。そんな体験をこの展示から感じ取ってもらえたら嬉しいです。

2019年2月16日(土)〜3月3日(日)
東急目黒線 西小山駅徒歩1分
curl up cafe
http://curlupcafe.com
猫カフェですのでカフェ代が必要になります。
詳しくはcurl up cafewebsiteをご覧ください。

竹村 東代子
イラストレーター、切り絵造形作家。武蔵野美術大学日本画卒業。日本画のテイストを生かした緻密な植物のイラスト、和紙を使用した細密な切り絵作品を得意とし、書籍や広告、企業広告として多くの作品を発表している。

 

 

明日から個展が始まります。

明日からきのこをテーマにした個展を開催します。

場所は東急目黒線 西小山駅最寄りの猫カフェcurl up cafe」。
オーナーが手塩にかけて育てた超美猫たちがそろう、高級猫カフェで、アート作品も展示してあり、ドリンクも本格的な素敵空間です。
美しく穏やかな猫たちに癒されながら、きのこの切り絵を標本箱に入れた作品たちをご覧頂けたらと思います。

 

9月にもこちらで個展の開催を予定しています。

9月は全く違ったテーマで新作中心の展示になりますが、今回は前哨戦といった形で旧作、新作を取り混ぜた展示となっています。

 

久しぶりに標本箱がずらっと並びます。

標本箱にきのこの切り絵をセットする瞬間は一番緊張する時でもあり、一番楽しみなときでもあります。

ラベルも和紙に印刷し、手書き部分はしっくり来るまで書き直しています。

 

猫のいる上質なリビングのような空間でどのような展示になるのか、とても楽しみです。

 

(開催情報)
竹村東代子個展「きのこの切り絵標本」
〜緻密で自由なきのこの世界〜
15年ほど前から、きのこに魅了されて切り絵をはじめました。それまで描いていた植物と違って、きのこは緻密ながらに生物的法則がなく自由に満ち、まだまだ未知の世界が残っています。この展示では既存の種の模写から、空想上の新種まで、切り絵標本として表現しました。私にとってきのこの魅力とは“万華鏡をのぞき込んだ時のような非日常感”。そんな体験をこの展示から感じ取ってもらえたら嬉しいです。

2019年2月16日(土)〜3月3日(日)
東急目黒線 西小山駅徒歩1分
curl up cafe
http://curlupcafe.com
猫カフェですのでカフェ代が必要になります。
詳しくはcurl up cafewebsiteをご覧ください。

 

 

竹村 東代子
イラストレーター、切り絵造形作家。武蔵野美術大学日本画卒業。日本画のテイストを生かした緻密な植物のイラスト、和紙を使用した細密な切り絵作品を得意とし、書籍や広告、企業広告として多くの作品を発表している。
https://www.facebook.com/toyoko.takemura
http://www.toyokotakemura.com
instagram/twitter toyokotake

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個展まで一週間

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オニシロタケの幼菌。

オニシロタケはすごい毒キノコだし大人になるとトゲトゲだけど、小さい時は雪だるまみたいで可愛いです。


個展まで一週間になりました。


2/16〜3/3

東急目黒線 西小山駅すぐのcurl up cafe http://curlupcafe.com

にて

竹村東代子個展

「きのこの切り絵標本」

〜緻密で自由なきのこの世界〜


きのこの切り絵を標本箱に入れたものをたくさん展示する予定です。

猫カフェできのこ。

どうなるのか未知数です。



平成最後の正月に思い出す、昭和最後の正月の光景


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21歳の祖父。


昭和天皇崩御のニュースをテレビで観たのは、祖父母と一緒に伊豆の別荘にいたときでした。

(祖父の羽振りが良かった頃に手に入れた別荘が那須高原伊豆高原にあり、夏は那須高原、冬とくに正月は家族で伊豆高原で過ごすことが多くありました。)


一緒にテレビを観ていた祖父が、声をあげて泣きだしました。


当時5歳だった私には、昭和が終わったことも、その意味もわかりませんでしたが、母に目配せされて私たちは祖父のいた部屋から出て行きました。

「いつも悠然としていて、ややニヒルに笑いながら子供達を見守ってくれるおじいちゃん」というのが私の祖父の印象でした。

その祖父が泣く。しかも激しく声を上げて、というのは驚きで、その理由も全くわかりませんでした。


きっとあのとき、日本中でかなりの人が祖父と同じように泣いたのでしょう。

さまざまな思いを抱えて。


私の祖父は、戦時中、陸軍航空隊の戦闘機のパイロットでした。

陸軍士官学校を出た職業軍人

剣道七段。

士官学校時代から剣道は抜きんでていたようで、御前試合にも出場したそうです。


祖父の家は神田の帽子屋でした。

今の神保町古書店街あたりにあったようで、皇室御用達だったという話しも聞いたことがあります。

そこの家には子供が生まれなかったため、祖父は育ての母の妹のところから養子にもらわれてきました。

本人には知らされず育ったそうですが、一人っ子なのに二のつく名前だったり、遊びに行くとおばさんが妙に嬉しそうだったり、いつしか知ることになったのでしょう。

その時代のなかで親孝行と思える選択をしたのにはそういう背景もあるのかなと思います。


戦争中のことはよく知りませんが、一式戦闘機「隼」に乗って、台湾の高尾の基地から世界中あちこちに行っていたようです。

伊豆高原の別荘の壁には、ずっと長いこと隼の写真が飾ってありました。


幸い戦争中に命を落とすことはありませんでしたが、当然危ういことは何度かあったようです。

一度はパプワニューギニアで撃ち落とされ命が危ういところでしたが、落ちたところにちょうど野戦病院を作る視察のため来ていた医師団がいて、すぐに手当てを受けることができたという強運の持ち主でもありました。

その怪我で内地に送還され、終戦のときは国内にいたようです。


祖父の手にはなぜか、撃たれた弾丸の破片が入ったままになっていました。

子供の頃、大きな黒いほくろのようなそれが不思議で、いつも触っていたのを覚えています。


祖母とは戦争中に結婚。

北海道出身の祖母は父親の知り合いのつてで東京に出てきていました。

茶道師範をしていた祖母は軍人さんの慰問お茶会のようなもので祖父と出会ったそうです。(お見合い的な要素があるものだったのかもしれません)


新婚時代は祖父について日本国内あちこちに行ったそうです。

ひとつの街から次の街に移動するときに前の街が空襲に遭って燃えているのが電車から見えたということが何回もあったと祖母が話していました。

祖母は「運がよかった」と言っていましたが、祖父のもとには軍から何か情報が入っていたのではないかと思います。


お墓まいりに行くたびに、自分が撃ち落とされそうになったときに助けてくれた人の話をしていました。

その人はそこで命を落としてしまったそうですが、自分がいなくなってもそういう人がいて今があるということを孫に覚えていて欲しかったのかもしれません。


神田は空襲が危ないということで、戦争中に家族は浦和に疎開

親戚が工場をやっていたツテを頼ってきたようです。

戦後すぐに私の父が生まれました。


戦後は自衛隊には入らず、一時無職になりました。

そのとき発明に没頭し、電熱線で熱を起こして調理する「電熱器」を商品化し特許をとりました。

電気で熱を起こす調理器具は当時画期的で、電熱器は大ヒット。たくさんのお金が入りました。

そこで友人の潰れかけた会社を引き取って社長になりました。

しばらくは羽振りが良かったようで、飲む、打つ、囲うと豪快に遊び、銀座の帝王と呼ばれていたそうです。

美術家のパトロンをやったりもしていたそう。

どんな意味のパトロンかはわかりませんが

那須高原伊豆高原の別荘を買ったのもこのころです。


とにかくよくお酒を飲んで、酔っ払っていたそうで、酔っ払って神田の駅前で大声で軍歌を歌っていたところに叔父が通りかかり声をかけたら「誰だ!」と言われて「息子だよ」ということがあったと叔父が話していました。


祖母と2人で世界中を旅行したりもしていました。

アフリカやペルーなども行っていたようです。


戦後、飛行機の免許を取ろうとしたこともあったそうですが、そのときの教官が海軍航空隊の出身で、ケンカしてやめてしまったとか


祖父の机に残されていた地球儀には飛行機の軌道のようなものが書き込まれていました。自分で飛んで行くつもりだったのか、祖母と行ったところの軌道を想像して描いたのかはわこりません。



私の父は会社の跡取りとして育てられ、好きな史学ではなく経営学を学ばせられました(大学院で史学を学びましたが)

祖父の会社の社員として働いていて母と結婚し、子供が生まれるというころに祖父の会社が倒産。

祖父と祖母は借金取りから逃げ回り、別荘や親戚の家に隠れ住んだりしていたそうです。


父は若い頃から集めていた骨董品を売ってその場をしのぎ、同じ業種で小さな会社を起こしましたがしばらくは苦労したようです。



私が知っている祖父の姿はその後ずいぶん経ってから。

朝は遅くまで寝ていて、起きてきたら熱い熱いお風呂に入り、リビングのソファに座ってタバコを吸い、孫が遊びに来ると相手をしてくれるわけではありませんでしたが、なんとなく見守ってくれていました。

祖父の家と私が住んでいた家は同じ敷地内にあり、孫たちはしょっちゅう自由に遊びに行っていました。


祖父は昼間出かけていることも多かったのですが、必ず朝、キスチョコ

ハーシー キスチョコレート 340g

ハーシー キスチョコレート 340g

をひとつ置いていってくれました。(peaceの缶の上に!)

私たちは毎日ひとつずつのそれを楽しみにしていました。

祖父は帰ってきてキスチョコがなくなっているのを見ると、孫たちがきたことがわかって嬉しかったようです。


ピスタチオが好きで、ヘビースモーカーでpeaceの缶の中にピスタチオの殻をためていました。

お酒が好きで、洋酒のビンを集めて納戸の棚に並べていました。

発明は他にもいくつかしていて、特許もとっていたのですがあまり商売取り方がうまくなかったのか、すぐに追随されてしまったようです。

でも、研究は続けていたようで、机に向かって何か真剣に考えている姿をよく覚えています。


母方の祖母曰く「宇宙人のような人」

親戚が集まると必ずいろいろなエピソードが語られます。

昭和の時代の人らしい、豪快な人でした。


祖父は昭和が終わってすぐ、平成元年4月14日に亡くなりました。

朝遅く起きて、熱いお風呂に入ったところで突然死でした。


私はその日たまたま幼稚園が休みで家におり、祖母からの内線電話を受け、母に伝えました。

そのときの慌てて震えた祖母の声、ただ事ではない気配は忘れられません。

母が母屋に飛んでいき、祖父を風呂から引き上げました。

155cm足らずの母が180cmほどの大男だった祖父をお風呂から引き上げることができたのはまさに火事場の馬鹿力なのでしょう。


お葬式はものすごくたくさんの人が来ていました。

みんな、「昭和天皇のあとを追うように亡くなったね。」といっていました。


享年68歳。

生きていたら98歳。

平成の終わりをどんな気持ちで見ていたのでしょうか。


永遠の0

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

の主人公ように祖父の足跡を追うことができたらと思いつつ、子供3人抱えて自由には動けない身ですが、祖父のことを少しでも残したくて書いてみました。


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今年も終わりです

今週のお題「2019年の抱負」

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水彩で描いたラナンキュラス

10分スケッチです。


双子の産後2年経ってようやく体力が回復してきた感じですが、イヤイヤ期の坊主2人となぜかイヤイヤの強い五歳に朝から大暴れされ、追いかけ回し、抑えつけ、抱えあげてるとそれだけでかなりぐったり。

日中も疲れが残り仕事なかなか進まず…。

子供たち帰ってきたらまた大騒ぎ、洗濯物の山、洗い物の山、掃除は一日なんども。

子供達を寝かしつけるときにはもうヘトヘトで一緒に寝てしまい、夜中に起きて仕事をしようとしたら夜泣きで中断…。

今年はそんな日々でした。


来年は、体力回復のためにランニングを少しずつでも再開しようと思います。

そして、積極的に街に出て、人に会い、色々な人の作品を観て、自分の作品も増やし、色々な仕事につなげていきたいです。


やりたいことを口に出すと叶うというのをよく聞くので、仕事での目標をいくつかここに書いてみます。


・絵本を作る

切り絵と水彩を組み合わせて流れ星の夜をテーマにした絵本を作りたいです。

・絵本を作る2

ちいさなかがくのともが大好きなので、いつか絵を描けるように、動植物、こどもの絵をどんどん描いてもっともっと上手くて魅力あるな絵を描けるようになっていきたいです。


絵本の仕事には憧れが強すぎて手が出せていませんでした。でも、いつかを叶えるために来年こそは動いていこうと思います。


・テキスタイルを作る

オリジナルのテキスタイル、グッズを今年は少なくとも2柄は作りたいです。

春までに苺柄。

初夏までにバラ柄。(デザイン済み)

秋までにきのこ柄。

今年はこの3柄は出したい!

そしてネットだけではなく、実店舗での販売も広げていきたいです。


・額装を含めた切り絵の表現をもっと高める

そのままですが、作っていくこと、試行錯誤していくことでしか見えてこないことがが多いので、コツコツ作っていきたいと思います。発表の機会も年3回くらいはあるといいな。


・事務処理能力を高める

きちんとシステムを整えて、経理や営業を効率よくやれるようになりたいです。


・知ってもらう

とにかくたくさんの人に作品を知ってもらうようにしていきたいです。

私の作品を好きになってもらえる人と出会うには、まずたくさんの人に知ってもらうこと。知ってもらうための努力を継続的にしていきたいです。

このブログも更新を増やして、多くの人に見てもらえるように頑張ろうと思います。


地味でとりとめのない覚書になってしまいましたが、正直な来年の抱負です。


来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


今年も終わりです

今週のお題「2019年の抱負」

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水彩で描いたラナンキュラス

10分スケッチです。


双子の産後2年経ってようやく体力が回復してきた感じですが、イヤイヤ期の坊主2人となぜかイヤイヤの強い五歳に朝から大暴れされ、追いかけ回し、抑えつけ、抱えあげてるとそれだけでかなりぐったり。

日中も疲れが残り仕事なかなか進まず…。

子供たち帰ってきたらまた大騒ぎ、洗濯物の山、洗い物の山、掃除は一日なんども。

子供達を寝かしつけるときにはもうヘトヘトで一緒に寝てしまい、夜中に起きて仕事をしようとしたら夜泣きで中断…。

今年はそんな日々でした。


来年は、体力回復のためにランニングを少しずつでも再開しようと思います。

そして、積極的に街に出て、人に会い、色々な人の作品を観て、自分の作品も増やし、色々な仕事につなげていきたいです。


やりたいことを口に出すと叶うというのをよく聞くので、仕事での目標をいくつかここに書いてみます。


・絵本を作る

切り絵と水彩を組み合わせて流れ星の夜をテーマにした絵本を作りたいです。

・絵本を作る2

ちいさなかがくのともが大好きなので、いつか絵を描けるように、動植物、こどもの絵をどんどん描いてもっともっと上手くて魅力あるな絵を描けるようになっていきたいです。


絵本の仕事には憧れが強すぎて手が出せていませんでした。でも、いつかを叶えるために来年こそは動いていこうと思います。


・テキスタイルを作る

オリジナルのテキスタイル、グッズを今年は少なくとも2柄は作りたいです。

春までに苺柄。

初夏までにバラ柄。(デザイン済み)

秋までにきのこ柄。

今年はこの3柄は出したい!

そしてネットだけではなく、実店舗での販売も広げていきたいです。


・額装を含めた切り絵の表現をもっと高める

そのままですが、作っていくこと、試行錯誤していくことでしか見えてこないことがが多いので、コツコツ作っていきたいと思います。発表の機会も年3回くらいはあるといいな。


・事務処理能力を高める

きちんとシステムを整えて、経理や営業を効率よくやれるようになりたいです。


・知ってもらう

とにかくたくさんの人に作品を知ってもらうようにしていきたいです。

私の作品を好きになってもらえる人と出会うには、まずたくさんの人に知ってもらうこと。知ってもらうための努力を継続的にしていきたいです。

このブログも更新を増やして、多くの人に見てもらえるように頑張ろうと思います。


地味でとりとめのない覚書になってしまいましたが、正直な来年の抱負です。


来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。